(adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({ google_ad_client: "ca-pub-9070715661183866", enable_page_level_ads: true }); Nobufumi Ohara / Web : 渥美半島

LOVE

LOVE
2018 [ Nobufumi Ohara / Web ]で制作

Translate

ラベル 渥美半島 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 渥美半島 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2018年3月21日水曜日

静岡県湖西市白須賀の浜から渥美半島 ~ 伊良湖岬を想う

Nikon coolpix s32
ふんわりとるモード。

渥美半島 ~ 伊良湖岬への想い
海岸線は続いている



時々だが、湖西市白須賀の浜に自転車で出かけることがある。

いいサイクリングコースだから、ということがあるが、天気が良い日曜の午後など、海を目に、ぼーっとするのが心地いいからでもある。

その浜から、西に目をやると、渥美半島が見える。

私は名古屋の中京大学に行った。

その時のバイト先のカジュアルなレストランにはサーフィンの会の人たちが集まってきていて、その人達に誘われて、伊良湖にサーフィンをしに行く機会ができた。

まさか自分がサーフィンを始めるなんて、という感じだったが、サーフィンは海と仲良くなる方法の一つだったし、サーフィンを通じて、伊良湖や他の地域の海のことなど知るいい機会になった。

渥美半島がサーファーが集まる所になっているのは、いくつもサーフスポットがあるからだが、低気圧のうねりが渥美半島に影響してサーフィン可能な波が起こるのだが、そのうねりの入り方が、渥美半島で一様でなく、移動すれば、波にありつけるスポットが見つけやすかったりすることがあるからなのではないだろうか。

ロングビーチ、港など、優良な波が立つスポットがあることはもちろんだろうけれど。

なので、伊良湖岬先端から、静岡県方面まで、結構渥美半島の海は見てきていた。

そして、もう学生でなく、実家がある静岡県西部地方にもどってきていたのだが、そんなある日、白須賀あたりの海から海岸線に目をやっていて、渥美半島を見ていて思いついたのは、海岸線を歩いていけば、伊良湖岬先端まで行けるよなあ、ということだった。

そこで見ていたら、渥美半島先端までの距離は、大したことはないように思えた。

裸の大将山下清の本を図書館で見ていた。

一日の移動距離は長くて10 ~ 15キロ位だったみたいで、景色がいいところなどで長く、景色に目をやっていたらしい。

そんな旅がしてみたかった。

そう思いついた時わたしは確か、それまで勤めていた会社をやめてなにもしていないときだった。

2,3日で行って、帰って来られるだろう、と目論んで、大きめのザックに食料やら水やら入れ込んで、早朝から歩いて家を出た。

夏だった。

頭のなかではそれは、疲れてヘトヘトになることかもしれないが、楽しみややり遂げた感は大きそうに思えた。

だが。

浜砂を行くのは、アスファルトはもちろん、砂の地面を行くのとは違って、それらの倍の体力が必要な感じだった。砂に足を取られるのだった。重たいザックを背負っていたので、その重みも、砂に食い込むのだった。

夏は気楽な軽装でよかったのだが、日焼けで体力を消耗するだろうと考えて、長袖長ズボンだったのだが、夏の暑さは、浜砂の上で、容赦がなかった。

どこか日陰で休もうにも、入り込める日陰があるところまで行くのも、距離があった。

そして、こんなことは、やってみるまでわからなかったのだが、水場は、海岸線上になかった。

持っていったペットボトルの水がなくなってしまうと、渥美半島の、浜辺につづく山場というか崖と言うかを越えないといけないし、超えて、伊良湖街道に出たところで、コンビニもショッピングセンターもないのがそのあたりなのである。

夜の真っ暗さ加減とか好きなのが渥美半島だった。

先端が近づくに連れて、ここは島だなあ、なんて感じが強くなってくる。

それがいいのだが、徒歩でそれを感じ続けるのに、慣れていなかった。

水が貰えそうな地元の人のための公園が、伊良湖街道には、たまに、ぽつんとあるくらいで、その場所も知っていたが、あってほしいところにそれはないのだった。

歩く歩く。

やってみないとわからないことは、多い。

その人に本当に必要な情報も、その人がやってみないと得ることができないことは今でも多いと思う。その頃、パソコンは持ってなかったし、スマホは登場していなかった。SNSで呼びかけて、水を手に入れられるところを教えてもらうことなんてできなかった。

数年前、ある配信サイトで、大阪から東京まで旅をする女性の配信をちらちら見ていた。

自分が知っているところも通るし、と思ってみていたのだが、その女性は、途中徒歩からヒッチハイクで山場を越え、自転車を買って進み、最後は、リスナーが東京まで送ってくれるということになって、高速をクルマで行っていた。

ナビゲーターもついていて、道や、進んでいるあたりの店の情報を貰って進んでいっていた。

配信なので、コメント機能からも情報がもらえていたし、途中差し入れなんかもあったりした。

海岸線を自分を頼りに歩いていくのとは大違いなのだが、その時のことを今に置き換えて思うと、この旅を YouTube 動画にしたかったなあ、ということはある。その頃まだデジカメもパソコンも普及してなかったろうし、YouTube も生まれる前のことだったと思う。

これは大変だった。

そういえば、その頃、小学館の『Be-Pal 』というアウトドア系の雑誌で、リヤカーで日本一周してたり、東海自然歩道を犬と行く人の記事が載っていて、その方は今も活躍されていると思うが、そういうふうに自分がやったことを発信し、仕事にしてていける人はいいなあ、とも思っていた。

歩きはじめて最初の夜は、港を過ぎて、海沿いの自転車道が続くところのちょっとした広場のようなところで、海に広がる漁船の光を眺めたりして過ごした。

こんなところでひとりで夜を過ごすのは、いろんな想像が湧いてきて、いられるものでもない感じだったのだが、疲れていたので、頭もそれほど働かなくて、明日、どうしようか? ということをテーマにしていた。

いっそのこと、このまま海岸線に沿って延延と歩き続けて旅をして、どこかで、自分でも思っても見なかったようなところで、仕事を得て、住んで、腰を落ち着けちゃう、ということもありなのかもしれない、という選択肢も浮かんだ。旅の人というよりも、ホームレスっぽいんだけれど。



遠い海の上は漁船の様々な光が点在していて、そんな光景を目にすることもはじめてだったし、非現実的な体験をしていたこともあってか、そんなことを考えていた。



それでもやはり、帰らないとなあ。



大して睡眠は取れずに、明るくなれば、立ち上がり、歩き始めた。



先端までは行かなかったと記憶している。

自転車道を行き、息をついて、途中で引き返すことにした。

こういうことは、もっと準備や計画が必要だと思っていた。

やれるなら、またやってみよう、と考えた。



帰りも、海岸線を行った。


ひどく疲れていた。


帰り道の記憶は、あまりない。


日陰で休みたかったが、日陰を探すのもつらくなっていて、途中、浜に寝転がったりしながら、帰り道を進んだ。

帰りは、一日半以上かかったと思う。

夜になって、もう、ここで寝よう、と横になったところの近くに、クルマが入ってこられる道があって、少し離れたところで、クルマが行ったり来たりする音が長い時間続いていたことを覚えている。

缶詰やパンを持って出たのだが、食べ尽くしてしまい、ついでにこれも、という感じでザックに突っ込んできたレモンが残っていて、その夜は、そのレモンのお陰でなんとか生き伸びられた感じがするほど、ぐったりしていた。

ここでこのまま死んでしまうと、バカな者の例として新聞に載ったりするのかもしれないと考えたりしていた。

浜辺でシートをひいて横になる。

海水浴に来ているのではないので、砂浜が焼けているのは、困ったものでしかなかった。

あちい。

それは、夜になってもつづく。

砂をかいて、表面の砂をどけると、若干冷たい砂が出てくる。

冷たい砂の心地よさを感じて、いつの間にか寝てしまい、起きると、家まで帰る力が少し戻ってきていた。



家に帰ったのは、早朝だった。

丸2日、そんなことをしていた。

家に帰って眠ると、次の朝、両脚は、丸太ん棒みたいにひどく膨れ上がっていた。




Nikon coolpix s32
マンガ風にとるモード





白須賀の浜で、その時のことや、コンビニもパチンコ屋も少なく、夜は海に点在する漁船の光が現実感がなくて、遠いどこかの島を感じる景色の渥美半島や伊良湖岬のことを思うことがある。

渥美半島の内海の側にも何度か行った。

景色がいい。

いいのだが、観光客さえいないのでは? と思うほど、なんだか寂しくてそこがいい、とか思うところ。




また、行きたいなあ、って思って、波の音を聴きながら、渥美半島に目をやるのである。



Nikon coolpix s32
静岡県湖西市白須賀の浜から