最近作った自分のアバター。 |
英語は難しくないって思えるようになった
英会話アプリ duolingo を続けている
アプリ内で使えるものを使って自分のアバターなんて作りたくなかったのだが、その画面が出て、ちょっといじった後、もう自分が持っている画像を自分のアバターとして使えなくなってしまったので、アバターを作ることにした。
というように、ちょっとアプリ側の強引な面を感じることもあるが、もはや習慣として、いやだなあ、やりたくないなあ、という日はあるんだけれど、毎日メールが来るし、ランキンが落ちるのも嫌だし、ということで、 duolingo を続けている。
やはり毎日英語、英文と接すること、そして、英語を口にすることで、英語が身についてくる。
パソコンにマイクがいつも付いていないので、喋ることを毎日していないのだが、スマホでレッスンを受けるときは喋る。
うまく発音できないと認められないのだが、毎日喋っていると、喋れるようになるもんだ、なんて感触がある。
この感触は、中学・高校・大学と英語の授業があって身につかないものだから、英語は難しいもの、なんて思いになるのだが、言葉だし、発音が正確じゃなくても、そんなに凝った発音ができなくても、伝わるもんだ、という感触である。
中学・高校、と無理やり難しいものと言うことになるのが英語で、伝えるもの、ということがまず根底にあるのが言語だから、喋ったりしてればできるようになっちゃうものだと思う。
英語の歌、洋楽なんか聞いていても、ユーチューブで言語英語の動画を見ていても、なかなかわかるようになってきた。
英語に限らず言語は、アウトプットの機会が多ければ身についてくるものだと思う。
むつかしいものだと思わせられるのが日本の英語教育だろう。
今スマホを持っていれば翻訳機能やGoogleレンズなんてのもあるし、英語と言わず、海外の言語をマスターしていなくても、そんなに困らない。
カイロ大学を出ていなくったって、アラビア語もスマホでわかるっんじゃないかとも思う。
まあ、その件は、学歴に関したことなので意味合いは異なるが。
が、英語くらい少しはコミュニケーションツールとして使えたほうがいいんじゃないか? という気はする。
今小学校でも英語の授業があるんじゃないだろうか?
英語をアウトプットさせる時間が多ければ、身につくと思う。
学校の先生からして英語が話せないなんてことだし、わざわざ難しいものだと思わせるような授業じゃなければ英語なんて簡単な気がしている。
duolingo は私の場合、なかなか役に立っている。
課金せずに、無料で使い続けている。
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