その2
BOOK OFF で購入
地域の人、
公園を管理する人、
公園を利用する人、
猫に餌をやりに来る人、
多分、定期的に猫に餌をやりに来る人、
猫を捨てに来る人、
猫を虐待しに来る人、
そして、そこで生きている猫。
そこの公園は、すぐ近くが海で、川と海が交わって、そのあたりから水面が広がっていこうとしているところだった。
近くには、小さな船が並ぶ船着き場がいくつかあった。
公園は海まで続く土地に生えた林と隣接していた。
鳥も虫もいるだろう自然が近くにあったし、なにが釣れるのかわからないが、そのあたりには釣り竿を持った人たちの姿もあった。
憩いの場としてよく出来たところだった。
ひとつ違うのは、捨てられた猫たちが、公園のある一角を中心に、自分たちの生活圏であることをアピールしているかのように、そこにたむろしてたりすることだった。
顔つきから、そこで長く生きていくのは、ハードなこともあるのにゃあ、ということが伝わってくる猫が多かった。
何度か足を運んでいると、まだ捨てられてそんなに経ってないんだろうなあ、という猫だとか、わかるようになってくる。
そこの猫、いや、他でも出会う捨てられた猫が悲しく思えるのは、捨てられる前は、飼い主に、あるアプローチをすると、撫でられたりしていたのか、そういうことを繰り返ししてくる猫や、いじめられたのだろう、近寄りたいのに、なかなか近寄って来ず、少し離れたところからずっとこっちを弱々しい感じでみつめている猫とか、もう捨てられているのに、人とのいい記憶を持っていることとかがわかるときだった。
その頃の自分のことと合わせてそんな猫達を見て、かわいそうになっていただけなのかもしれないが。
いっそのこと、オレはもう人と関わらずに、雀や小魚をつかまえて、たくましく生きていくのにゃあ、という猫に変わってくれたらいいのに、気づけば、猫はそういう生き物じゃないみたいだった。
その猫達に餌をやりに来る人も、まあ、公園に遊びに来たついでに、食べ物をあげようとする親子連れなども見かけたが、年配の痩せた男性が、古い自転車を引いて、荷台の後ろにくくりつけてきたダンボール箱を取って、何か猫達に餌として置いていくという、そんな感じのひとがいた。
それも、ボランテイア精神の表れなんだろうけれど、猫はその人の仲間であり友達の感じじゃあなかったろうか。
猫も、皆が皆、捨てられたとは言え、健康的な様子だったかといえば、そうでもなく、そんな猫達が集まってゴロゴロしたり、ベンチで寝そべってたり、木に登ってあたりににらみをきかせているような光景を見ると、これはよくないんじゃないだろうか、ということになりそうに思えた。
一般的な問題としてある、野良猫、野良犬の問題をラジオか何かで耳にしたりして、そこで、猫の写真を撮りに行く人がいることだって、ーーーー猫目当てで集まってくる人がいるのもそこの公園を利用する人からしたら困った問題に違いない、ということになるだろう、と思えた。
そこの猫に餌を持っていくようなことはしなかったが、とにかく、私がしていることも、そこの公園にとっていいことじゃないのは間違いないだろう、と考えて、そこの公園に行くことはやめることにした。
やめてからだったが、ネットでたまたま目にしたそこの公園の評判は、猫のお陰でわるい感じで有名なようで、猫に対してひどいことをする者の事も書きこまれていた。
その頃撮ったそこの公園の猫の写真プリント。 |
猫に近づく本『ネコを撮る』岩合光昭著
BOOK OFF で購入 その3につづく
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